一言で「音」といっても、要素はいろいろあって、関わる場所や関わり方によって千差万別です。

 

1)扱う対象は?:ノイズなのか、トーンなのか、サウンドなのか、ミュージックなのか

2)関わり方は?:音を作るのか、鳴らすのか、集音するのか、編集するのか、

保存するのか、再生するのか、聞くのか

3)立場は?:科学として接するのか、官能として接するのか、興味の対象としてなのか、

職業なのか、ポリシーなのか、見栄なのか

これらは主観として言葉に表れ、それが価値観の差となって、よく誤解を生みます。

具体的には、「音がいい、悪い」と言った場合、官能的な人には、元の音との相関性など関係なく自分にとって「すばらいい音」に聞こえることを求めるでしょうし、科学的に見ている人は入力信号と出力信号が振幅以外如何に一緒かを求めるかもしれません。

もっと極端な人は、ソースを直接聞いた時の脳内の反応と、再生したものを聞いた時の脳内の反応がそっくり同じであることを要求するかもしれません。

もしかしたら、経済的に見る人は、これにコストパフォーマンスも含めて語るかもしれません。

なので、「音がいい、悪い」とは、簡単には言えないと思います。

特に「音がいい」とは、禁句な気がします。

表現するならば、こうですね。「HI-FIである」とか、「心地よい」とか。

HIFIは「High Fidelity 」・・・高忠実度再生であって、音が心地よいかどうかは関係なく、原音がどう鳴っていたかも関係なく、与えられた条件において入力された信号に如何に近い信号を出力するかを示してるんですね。・・・そうしたら、次に出すデータはボード線図やS/N比や自己相関関数を取った結果など、入力と出力をひたすら比べたデータとその取得条件になります。

心地よい・・・と言ったとたんに、もう、周りがそれを否定する余地もないわけで、対抗意見を出してもケンカになるだけですね。もちろん、この人にとって心地よい音とは、物理的特性はどうなってるのか、といった部分はデータにはなりますが、「心地よい」事実は変わりませんね。

って書くと、なんか、官能でオーディオを語るのは技術的に語るよりも劣っているように思われるかもしれませんが、それは誤解です

私は、そりゃ、あまりに弄りまくっためちゃめちゃな音じゃ困りますけど、いろいろ計算したり経験を積んだりして技術は使ったとしても、最後には「自分にとって気持ちよく聞ける音で聞く、そのために工夫する」のがオーディオ趣味なんじゃないかな、だから、官能で語るのは間違ってないと思っています。

きっと、人によって心地よい、は変わってくるもので、これを言葉にするならば、きっと、結局人間なんて

・自分にとって都合のいいときに

・自分の聞きたいと思っていた音が

・そのとき聞きたいと思っていた音質やバランスや音量で

聞こえてくるのがいいんです。

残念ながら、ここまですべて含んだ学問が工業的なところまでは落ちてきていないんじゃないでしょうかね。

と、そのへんを気をつけて(とは言っても、禁句をたくさん作ってもしょうがないので)

1)主観的な話は、はっきり主観として書く

例:私はいい音だと思った。(私が思っただけであって、他が思うかどうかは別)

気に入った。好みだった。(主観を表現する言葉)

2)客観論を展開するならば、帰納的に、または演繹的に明らかではないことの評価はしない。

特に、帰納法の場合は、観測された事象の信頼性や観測点(人の場合、観測者の立場や嗜好も含まれるから面倒)、

演繹法の場合は原理原則そのものや適用範囲などに注意。

(ぶっちゃけ、数値計算結果もシミュレーション結果もデータもないのに適当に客観論にしない)

・・・といっても、それぞれ大概は神様から見れば不完全なんですけどね。。。

3)自分で考えたこと以外は出展は明らかにする。

に注意して書いていこうと思っています。

どこまで守れるかは疑問ですが、そんなときは、「それは根拠があるんですか?それとも、趣向の問題ですか?」と聞いてください。